ほぼ初心者ディプロマシー 1905年

どうも、六花のつゆが好き、四扇イドラです。

 

目が離せない戦況ですから、さっそく1905年を観ていきましょう。

なお、画像はてりや菌さんの公開されているブラウザツール

Dipssistant Lite

の盤面をスクショしたものとなっております。Twitter等もご参照ください。

また留意事項等を開幕の記事に書いてありますので、適宜お読みください。

1905年開始時点

開幕当初の勢力関係はどこかへ行き、更なる混戦の様子がみえてくるなか、1905年が始まります。

1905年春の行軍命令

英 ロンドン→ピカルディ(イギリス海峡で輸送)

  スカゲラク→ノルウェー

  北海=ベルギー 相互維持支援

 

仏 西地中海→スペイン

  ブレスト=パリ 相互維持支援

 

独 サンクトペテルブルク→モスクワ

  リヴォニア=プロシア 相互維持支援

  ヘルゴランド湾=オランダ 相互維持支援

 

伊 チュニス→スペイン(テレニア海、リヨン湾で輸送)

 

墺 ガリシア→ウクライナ

  ウィーン→ガレシア

  ブダペスト→ウィーン

  ギリシャ→ブルガリア

  コンスタンティノープル→アンカラ

 

露 ワルシャワ→モスクワ

  ベルリン→ワルシャワ

 

土 スミルナ→コンスタンティノープル

  黒海→アンカラ

1905年春 行軍命令実行後

フランスはイタリアの思惑を読み切ってスペインの防衛に成功。イタリアは急襲に失敗し秋の増産が難しくなった形。ヴェニスにいる陸軍をピエモントに入れられないのはオーハンへの警戒心の表れだろう。単身では突破しきれないから、伊仏の攻防は膠着必死と思われる。

 

オーハンはイタリアを信頼してかロシア領への欲望が垣間見える配置。伊領となったセバストポリとトルコの扱いをどうするかによって戦略が大きく左右される。挟撃されないよう各個撃破か友好関係を保ちたいところ。

 

イギリスはスカゲラク海軍をさげてドイツへの圧力をやや弱めた印象。対照的に、ピカルディに陸軍を置いて英仏の緊張は高まったといえる。英陸軍の上陸を許してしまったフランスが窮地に見えるが、両面で守りきれるか。

1905年秋の行軍命令

英 スウェーデン→デンマーク(北海で移動支援)

  イギリス海峡→ブレスト

  ピカルディ→パリ

  ノルウェー-北海を維持支援

 

仏 西地中海→スペイン南岸

  ブレスト=パリ 相互維持支援

 

独 サンクトペテルブルク→モスクワ

  ヘルゴランド湾=オランダ 相互維持支援

  リヴォニア=プロシア 相互維持支援

  ミュンヘン→チロル

 

伊 セヴァストポリ→ルーマニア

  ティレニア→イオニア

  リヨン→ティレニア

  ヴェニス→トリエステ

 

墺 ウィーン→チロル

  ウクライナ:独StP→モスクワを移動支援

  ブルガリア=コンスタ 相互維持支援

  ルーマニア→セバストーポリ

  ガリシア→ワルシャワ

 

露 シレジア→ボヘミア

 

土 スミルナ→アンカラ

  黒海:伊セヴァストポリ→ルーマニアを移動支援

1905年秋 行軍命令実行後

ドイツへの融和策をとったように見えたイギリスがデンマークをあっさり獲得。ドイツ軍は東西に分断され、ほとんど防衛が効かない状態、どちらかを諦めて合流しないと滅亡も見えてくる状況。

ロシアは秋にモスクワを失い、滅亡前夜。最後の1拠点は独墺のいずれかの手に渡る形に。

 

イタリアは対仏で講和を結び反転対墺の行軍。オーハンは読み合いに負けて1拠点失った形。伊墺は領土拡大の目が出てきたトルコを抱き込んでうまく協力したいところ。互いに拡大への危機感を訴えることになりそう。

 

フランスは伊仏の膠着から解き放たれて対英に集中できる状況に。防衛はできそうだが拠点を奪取できる気配はなく、単独では拡大できない様子。危機的なドイツと協力するか、オーハンと協力してイタリア攻めを再開するか。いずれにせよ選択が迫られる局面。

1905年終了時点

イタリアの陸軍増産は対墺を強く意識した結果だろう。オーハンは1拠点失ったうえ対伊防衛に軍をさく必要が出てきた。ロシアの協力的な解体からワルシャワは取れるにしても、ドイツを攻める時機を逸したといえるだろう。伊墺の決着は独土の協力次第だろう。

 

西欧はイギリスが安全圏を確保。拠点を減らす気配はなく、独仏が協力しない限り拡大に歯止めがかからない状況だろう。優勝争いのライバルになりそうな伊墺が争っているのもイギリスにはありがたい展開。

 

ドイツはユニット数こそ多いものの東西に分断され攻撃も防御も難しい状況。プロシア、リヴォニアの海軍を動かして有効に使いたいところだが、敵意が表に出てしまうというリスクもある。

海軍でイギリスの対応をしつつ、陸軍が伊墺の争いに首を突っ込み1,2拠点取りたいというのが本心だろう。

 

……その状態から伊仏が講和するとは思わなかった。

1906年へ

1905年が終了。

イギリスの安定感がひかり、仏独は思うように行軍できていない様子。

伊墺の勝った方とイギリスが拠点数争いをするであろう未来がみえる。

終了時間も近づいてきて、滅亡しそうなロシア以外にも優勝が事実上難しい国も出てきた頃合い。順位争いの細かい条件計算も含め、いっそう複雑な利害関係になりそう。

 

そんななか、1906年へ。