詰まるマダミス、詰まらないマダミス

どうも、むしょうに牡蠣が食べたい、四扇イドラです。

 

今日はマダミスの話をします。話題にするゲームがころころ変わってあれですが、ちょっと感動することがあったので。お許しください。

 

あらかじめ明記しておきますが、マダミスのシナリオ名は指摘しません。(ので、抽象的な話になりますが、ネタバレの心配もしなくて大丈夫です。)

 

いつもみたいな理屈っぽい話もとくにしません。ふにゃふにゃ読んでもらえればと思います。まあ、ひとことで言ってしまえば「マダミスって面白いし、シナリオ作家さんはすごいよね」という話です。

 

マダミスって何ぞや

マダミスを知らない人にも読んでほしいので、頑張って説明します。

ざっくりいうと、ミステリーの登場人物になってロールプレイしつつ目標を達成していくトークゲームです。

殺人事件の犯人とか、容疑者とか、探偵とか。場合によっては殺人ほど深刻じゃない事件だったり、あるいは探偵や犯人がいなかったり……。

目標はどんな役をやるかによりますよね、疑われたくないとか、犯人を見つけたいとか。もっと個人的な目標があるパターンや自分で決められるパターンも。

 

ムリに最大公約数的な定義をするならば、何らかの事件を目の前にした登場人物を演じながら、その状況を楽しもうとするゲーム、となりますかね。

さっきのざっくりした説明のほうがしっくりくる気がしますが。

 

ここまで読んでお気付きと思いますが、マダミスにははっきりとした型がありません。

世界観、キャラ、トリックに、ゲームシステム。

ちょっと検索するだけで、多種多様なシナリオと出会うことができます。

まだやったことない人はぜひ検索して遊んでみてもらって、もう遊んだことある

(観戦したことがある)人は、このふわっとした説明に共感してもらって、本題に入っていきます。

 

詰まるマダミス

あらかじめことわっておきますが、「詰まるマダミス」なる概念があるわけではありません。さっき僕が作りました。(誰かが以前に作っていたらごめんなさい。その人とは仲良くなれそうなので教えてください。)

 

ということで、ちょっとちゃんと説明します。

「詰まるマダミス」は「盤面に現れる情報や、登場人物のもっている情報をあわせて考えていけば、事件の真相が明らかになるように作られているマダミス」という意味です。

凶器が見つかるものや、時系列が確定するものなど、真相の明らかになり方はそれぞれですが、いずれにせよ犯人が確定する(ことのできる)ものといってもいいでしょう。

もちろん、プレイヤーの選択や、ちょっとしたミス、あるいは運要素によってわからないままということもありますが、うまくかみ合えば真相に辿りつけるようなシナリオが一定数存在します。

 

完成度の高い「詰まるマダミス」は、真相に辿りついたときの衝撃がものすごいですし、わからないまま終わった後で解説を聴くと悔しいものです。

いずれにしても、ゲームに対する納得感が強くなるのがその特徴でしょう。

 

ある種、謎解きにも似た脳の動きを実感できます。

散りばめられた情報と情報を結び付け、あらゆる可能性を取捨選択していって、そして真相を突き詰めようとする。その思考作業は面白いですし、作業を共通するプレイヤーどうし、衝撃な納得を共有できるのです。

 

もちろん、犯人も同じくらい、あるいはそれ以上に頭を使います。出てきてしまった情報からどうミスリードしていくか。怪しまれたときどう弁明するか。誰を犯人に仕立て上げれば矛盾がないか。

頭を使いつつ内心はどきどきでしょう。

 

真相へと至ろうとし、それを妨害しようとする、その知的作業を楽しみつつ、鮮やかに散らされていたヒントに感嘆する。ゲームへの納得感が強い「詰まるマダミス」。

オススメです。

 

詰まらないマダミス

詰まるマダミスの面白さを紹介したところで、次は「詰まらないマダミス」もつまらなくないという話です。

例のごとく「詰まらないマダミス」も造語です。

 

「詰まらないマダミス」とは「ゲーム上用意された情報からは犯人が確定しないマダミス」という意味です。

さすがに犯人のハンドアウトには犯人であることが書いてあるでしょうからこれは別として、自白をしないかぎり犯人がわからないようにできているものになります。

 

もちろん、言動や人間関係から怪しいということにはなるでしょうし、あるいは容疑者が少数に絞られることもあるでしょう。それでもそれらは不確定で、最後まで真相がつかめないままエンディングや投票に行くことになるシナリオが一定数存在します。

 

さて、犯人が確定しないというのは、どう評価すべきでしょうか。作者の、プレイヤーに対するアンフェアな設定と論断してしまっていいのでしょうか。

僕はここで、声を大にして主張したいのです。

犯人が確定しないからこそ、味わえる楽しさがあるのだと。

 

それは、マダミスが、決して単なる推理ゲームではないことに由来します。

登場人物になりきってコミュニケーションを楽しむという側面があります。というより、その要素こそマダミスをマダミスたらしめると思っています。

そうだとすれば、犯人が確定せず、お互いがお互いを疑ったまま、自分が犯人でないことを叫びながら、最終局面へと辿りつく。

その何と感情を揺さぶられ、演技しがいのあることか。

「詰まらないマダミス」はマダミスのトークゲームとしての側面を際立ててくれるとともに、自分たちで物語の結末を選んだという実感を与えてくれるのです。

 

事件を目の前にした人物として、不安や焦りを抱えながらロールプレイしていく。その感情が動く瞬間を楽しみつつ、シーンを共有する喜びを享受できる。物語の結末に対する納得感の強い「詰まらないマダミス」。

これもまた、オススメです。

 

マダミスっていいよね

ということで、ここまで「マダミスっていろんなシナリオがあってそれぞれ面白いよね」という話を長々書いてきました。

 

思考の要素が多いもの、感情の要素が多いもの、そのバランスを取ったもの。

さまざまあって、どれも面白いんですよ。

シナリオ作者さんたちのすごさを痛感せずにはいられません。

 

みなさんのなかには苦手な謎解きっぽいのが苦手な人やロールプレイに自信がない人も

いらっしゃると思いますが、そんな人でも楽しめる、あるいはそんな人こそ楽しめるシナリオがあるはずです。

ネタバレを避けつつ自分にあったシナリオを見つけるのは難しいかもしれませんが、既プレイの知り合いに雰囲気だけ聞いたり、その作者さんの他の作品を見てみたりしながら、マダミスの楽しさを味わっていただけたらいいなと思っています。

 

好きなシナリオの良さを書き散らかしたい気持ちを抑えつつ、マダミス沼でお待ちしております。

 

 

 

追記という名の

具体的な作品名は出さないと言いましたが、”とりえもすたぶ”さんというサークルのマダミスはどれも素敵な世界で、それだけでわくわくできますし、気取らずに遊べますから、初めての人にも心の底からオススメします。

(すごく有名な作者さんなのでオススメされるまでもないかもしれませんが)