RPが不得意、例えば動機とか

どうも、気温の上昇と湿度ある風に梅雨と夏への不安が積もります、四扇イドラです。

 

ふた月ほど前にロールプレイ(RP)が苦手という話を書きましたが、今日はその続きというか、似たような話です。

前回はTRPG、とくにクトゥルフの話だったと思いますが、今回はマダミスの話です。

 

さて、突然ですがマダミスの犯人役はお好きですか?

他のプレイヤーが犯人を捜すなか、犯人役だけは見つからないことが主たる目標となり

(もちろんそうでないこともありますが)、特殊な立ち回りが求められます。

推理するのが好き、嘘つくのが苦手、バレないかドキドキするなど、犯人役を好きでないという人は多いでしょうが、僕は少しだけ違った理由から犯人役が苦手です。

いえ、少し前までは好きでした、嘘をついて追及から逃れられたときは気持ちいいですし、どうも推理が下手なようで、勝率も犯人役のほうが高かったくらいです。が、あるときふと気になるようになってしまったのです。

すなわち”逃げ切ることが「この」犯人の目標なのか”と。

 

ところで僕は犯罪を犯したことがありません。ましてや人を殺すなど、想像することですら難しいくらいピンときません。おそらくマダミスを楽しんでいる多くの人は、そうなんだろうと思います。

が、現実に人を殺す人はいますし、マダミスの犯人役は人を殺しています。もちろん犯人ごとに動機は様々で、しかも複雑なものでしょう。何か1つの事情を取り上げて、犯罪を引き起こす因子はこれだなどと明言することはできないでしょう。あるいは一定の類型化はできるかもしれませんが。

僕は多くの殺人事件を知っています。当事者としてではなく、傍観者として。ニュースで目にするそれらや、推理小説に登場するそれらは、ときに明快に犯人の動機を説明してくれます。したがって犯人の動機を知識としてある程度ストックしているとはいえましょうが、しかしどれも現実の経験ではないわけです。

 

前回も書きましたが、体験したことがないものを演じるのはとても難しいです。とくにゲームでたまにちょっとRPっぽいことをしているだけの僕には、とても。

人を殺すときの心情を体験したことのない僕にとっては、犯人役のRPは全くの想像でしかなく、はたから見ればリアリティのないものになっていることでしょう。

何か手がかりが欲しいものです。

 

親切なシナリオでは犯人の動機について明確に、かつ詳細に書いてくれています。例えば「公衆の面前で○○さんに馬鹿にされ恥をかかされたから、その恨みから殺した」などと。恨みで人を殺すというのがピンと来なくても、公衆の面前で恥をかいたときを想像すれば、その犯人の抱いていたっぽい感情を想像し、これに沿ったRPをするというのはできるかもしれません。

問題は、このような記載がない場合、記載がどうしても犯行につながらないように思われる場合(例えば好きすぎて殺したとか)、あるいはその記載の心情すらピンとこない場合(例えば脅された恐怖から殺したとか)です。

 

 

話は変わりますが、日本の司法において殺人が殺人として認められるためには、犯人が殺意をもって被害者を殺す必要があるようです。この殺意については「人を死亡させることがわかっているのにあえてこれを行おうとすること」とか「人を死亡させる危険のある行為を、その危険があるとわかっていながら行おうということ」というように説明されます。

なるほど、確定的な殺意でなくても、相手が死亡することの認識と認容があればよいということらしいのです。

そして、このような殺意の有無は凶器が何かとか、傷が深いかとか、あるいは犯人が犯行前後にどんな言動をしていたかとかから判断するらしく、犯人自身が語った犯行動機というのは判断の重要な1要素とはなるが、1要素でしかないのだそうです。

そうだとすると、犯人がそのとき具体的に何を思っていたかは第三者視点ではわかりようがなく、かつわからなくても良いといえそうです。あくまで犯罪の認定のためには、という限りですが。

 

これをマダミスにおいて考えてみると、こうは言えないでしょうか。

究極的には犯人が○○さんを死なせることを容認していたのであれば、その人が犯人であるに足り、その具体的な(個人的な)感情は他のプレイヤーからは明らかでないし、明らかにならなくていい、と。

もちろん、HOに動機が書いてあったのであれば、それが何か重要なカギとなる可能性がありますから改変してRPしてよいとは考えません。が、明確な動機の記載がなく、うまくRPできそうにないとなれば、広く被害者を死なせたという自覚のある人間のRPをすれば、それでよいのではないか、と。

 

 

さて。ここまでは、犯人が犯行当時どういう感情を抱いていたかについてのRPを話してきたわけですが、これだけでは不十分です。

マダミスは犯行後、犯人を捜す場面をその舞台としており、まさにRPすべきは殺害するときの犯人ではなく、殺害した後の犯人だからです。

 

これもヒントを得るべく、日本の司法を覗いてみます。

殺人罪で逮捕された人は、まあ取調を受けるわけです。人によってさまざまな供述をするのでしょうが、そのなかにはよくある言説もあるようです。

例えば、否認するにしても、何ら犯行には関与していないと主張する人もいれば、死なせてしまったことは認めつつ殺意がなかったという人もいます。あるいは自分の行為と被害者の死亡との因果関係を否定する人もいます(例えば途中で別の○○さんが××したせいで死んだんだ、とか)。

他方で、自白する人も少なくないようです。

(否認する人で、本当にやってない人もいるでしょうが、ここでは”犯人”役のRPの話なので。)

 

ここでもやはり、犯人の内心はわかりません。

有罪になりたくない理由が何なのか、なぜ自白したのか、犯行がばれると思ってドキドキしているのか、半ばあきらめているのか。話す場合もあるでしょうが、それが真に思っていることかはわかりようがないことです。

 

そうだとすれば、なるほど、手がかりはありそうです。そう、HOに掛かれている”目標”です。

もし仮に「犯人であるとバレないこと 10点」などと書いてあれば、その人物は自らが犯人であることをバレたくないと思っているのです。そういう犯人は犯行を否認するでしょうし、アリバイをでっちあげ、他人に罪をかぶせ、あるいは証拠を隠滅するかもしれません。いずれにせよ、犯人だとバレないようにするために行動をとれば「犯人であるとバレないこと」を目標とする犯人のRPとして十分であって、その際に緊張しているか飄々としているかとか、なぜ塀の中に入れられたくないかとか、そのあたりは自由に解釈してしまってよいのだろうということです。

あるいは反対に「動機を知られないこと10点」などと書いてあれば、そのように行動すればよいのです。

 

 

ここまで見るに、なるほど犯人役のRPとは、犯人の感情を自らに憑依させて言動するなどという至極難しいものではなくて、犯人としてすると想定された言動をするということなのでしょう。その過程で感情が不明瞭に思えたり言動とうまく一致させられなくても、あるいは言動の不自然さがあったとしても、RPとしてはそれで十分なわけです。

それは、犯人の(あるいはもっと一般に他人の)心情など誰も確かには知りえないし、そして知らなくても物事は進んでいくという、なんとも哀しく、そして優しい現実そのものでしょう。

これが、RPが不得意だと散々書いてきたことの、おそらく今の僕としての答えです。

 

 

とまあRPの不得意な自分を元気づけるかの如くそのハードルを下げてきましたが、ここで冒涜的なアイデアが浮かんだので、余談的に紹介します。

そう、これはマダミス。誰かが書いたシナリオなのです。

シナリオを書いた方が、犯人の心情の千差万別なるを、千差万別なるがままに犯人キャラを作り出したとは思えません。というか、そんなことは不可能か著しく困難です。何らか、犯人キャラに方向性を与える瞬間があったはずです。

そうだとすると、僕らが延々と「このような状況にいる犯人はどんな感情を持っていて、どういう言動をして、あるいはどういう結末を望んでいるだろうか」などと悩んで答えが出るはずもなく、むしろ「作者はこの犯人にどのような役割を託したのだろうか」とか「作者の想定した犯人像はどんなだったか」という問いの先にこそ、しかるべきRPが待っているのではないか、というアイデアです。

この発想は、三つの意味でリスキーです。

一つが、マダミスにメタの視点を持ち込むからです。それはRPへの没入感を減退させ、ときに作者の意図しない方法による解決に至る危険がある行為です。

二つが、RPがパターン化するからです。それは作品ごとの微妙なニュアンスの違いを背後に押しやり、システマティックなRPを導くことになりかねません。(とはいえ、そんな繊細なRPできないんすよ、という悩みからスタートしているのでこの指摘をされると困ってしまいます。)

三つが、作者の意図は作者に訊かにゃわからんからです。受験のときに国語の問題に抱いた、作者の意図なぞ本人しか知らんやろという悩みに行きつきます。

とまあ、若干の困難を含むものの、RPの手がかりを探すには有意な心持な気がします。

 

そのうえで最後に、たった今浮かんだ着想を書き散らかして終わります。

動機がどの時点にあるか、という尺度は、その後の行動を如何する重要な要素となりうるのではないか、と。あるいはその犯行の指向を、HOから読み取れるようになりたいものです。