どうも、春の雨は音と香りが好きです、四扇イドラです。
今日はちょっと雑談というか、ごく個人的な話をしようかなと思います。
最近ディプロマシーの戦略ばかりだったんで。
まあ簡単にいうと、僕はロールプレイ(RP)が不得意っていう話です。
ここでいうRPはマダミスとかTRPGでのことなんですが。
こういうゲームにおいては、まあ究極的にはどう演じてもいいわけで、うまい下手を一次元的に決められるわけではないから、不得意という表現が正確かはさておき。好きなんだけどしっくりこない感覚がある、という感じ。
えー、突然ですが、こんな言説、というかオチってあるじゃないですか。
「結局、お化けより人間が怖い」
僕はこの言説は、ものすごく正しくて、どうしようもなく誤っていると思ってるんです。
というのも、まあ僕が霊感がないからかもしれませんが、お化け相手に身の危険を感じることってないんですけど、人間相手にはままあるんです。小学生の頃に目撃した刃物持ったおじさんとか。
けど、お化けに対する怖いって、身体上の危険を感じるって意味じゃなくて、得体の知れなさというか、解決しようのない心理的負荷、みたいなニュアンスだと思ってるんです。
そうだとすると、お化けと人間の怖さは種類の違いもので、単純な大小で比較できないんじゃないかなと。当たり前っちゃ当たり前なんですが、まあこれが「どうしようもなく誤っている」といった理由です。
ところで、これをお読みのあなたは、SAN値というものをご存じでしょうか。クトゥルフ神話を題材にしたTRPGで使われる数値で、ざっくりいうとそのキャラクターの正気度を表します。どのくらい正気を保てているかの指標と思ってください。
クトゥルフ神話TRPGでは自分の演じているキャラがまあまあショックな場面に遭遇して、このSAN値が減っていき、減りすぎると狂気に陥るというシステムになってます。
で、このSAN値の上がり下がり(上がることは稀ですが)も、せっかくなのでRPに反映させたいなと思うわけなんですが、これがとても難しいわけです。
幸運なことに僕はこれまで発狂状態になったことがなくてですね。高校の文化祭の後夜祭なんかで奇声をあげて盛り上がったことはありますが、発狂というにはあまりにも正気でした。
加えて僕は、あんまり怖いものがないんですね。毒虫とか刃物持った人とか地震とかは怖いですけど、これが正気度云々と違う話だというのは分かってもらえると思いますが。つまり、具体的に身の危険を感じるわけでもないが恐怖を感じた、経験が少ないわけです。
「少ない」といったからには当然あるにはあります。
僕は2つの恐怖症をもっていて、それが高所恐怖症と閉所恐怖症です。
高所恐怖症というのは文字通り高いところが苦手なんですが、どうやらほかの人と違うらしい点があります。
というのも、「自分の選択で落ちることができる」ところが苦手なのです。したがって、スキーのリフトや船の上は怖いですが、東京タワーとか観覧車みたいな簡単には落ちられない場所は大丈夫です。
要するに自分が落ちる未来を勝手に想像して怖がっているわけです。
これはまあ、具体的な身の危険を感じてるシーンといえなくもない気がしますが。
閉所恐怖症も文字通り閉ざされたところが苦手で、狭所恐怖症とは違います。その空間の狭さは関係ないのです。
すなわち、「自分の意志で出ることができない」ところが苦手なのです。
免許合宿のときの宿泊施設が、門限を過ぎると玄関の鍵が閉まって外出できなくなるところだったんですが、かなりしんどかった記憶があります。ちなみに、異世界に行く系のアニメを見ると、異世界という閉ざされた場所(その対比としてこの世界という閉ざされた場所)にいる自分を想像して眠れなくなったりします。
書きながらすでに嫌な気分がこみあげてきてるんですが、これはまさに身の危険もないのに恐怖を感じた事例の一つかなと思います。
さて、RPの話に戻りましょう。
僕は他人の思考を借りることはできます。すなわち、マダミスとかで「この情報を持っている人はこう考えそうだな」と考えて、これにのっとって発言することはできる、少なくとも自分ではそう思っています。
が、他人の感情を借りることが極端に不得意です。
自分が恐怖しないものに対する恐怖を想像することに困難を感じるわけです。あるいは、自分が全く見たこともないものに対する恐怖を想像することに困難を感じるわけです。
「シャワー中の背後に誰かが立っていることを想像して(僕が飛行機から出れないことを想像して抱くような)恐怖を抱」けないのです。
もちろん、そのような努力はします。KPに「SANチェックです(正気度ロールです)」といわれ失敗したら、ここで何らかの恐怖を抱いたのだと、その感情を想像します。そして、その想像こそTRPGの本質の一つだと思っているし、面白いとも思います。
が、そこから出てきた自分の表現に、我ながら嘘っぽさを感じずにはいられないのです。
それでいいという人もいましょう。実際にその感情を抱かなくても、その感情を抱いているかのように振る舞えればRPとして十分だと。
あるいは、共感できない部分を無理に演技に落とし込もうとしなくてよいのだと。
そうだとしても、やはり他人の感情への想像力は、豊かにしたいものです。
追記
ここまで書いたところで、どうしても気になったことがあるのでメモしておきます。何か知識やアイデアのある人はコメントをください。
上記の文章で、僕は恐怖の語用を2つ示しました。
すなわち、身体に対する危険を感じる状態と、精神の安定を損なうような状態と。
しかしその分け方は果たして正しいでしょうか。
恐怖と調べると「恐ろしく感じること」と出て、恐ろしいと調べると「危険を感じて、不安である」と出ます。
ここで少なくとも2つの可能性があり、これを否定できない限りは上記の分け方は少なくとも正確ではない気がします。
1つ目が「精神の安定を損なう状態の一つに具体的な身体の危険を感じる状態がある」可能性。この場合、包含関係にあるので広義と狭義になるのかもしれませんが、そんなことは辞書にはありません。
2つ目が「精神の安定を損なう状態は(その具体性の度合いは別としても)何らかの身体の危険を感じている」可能性。この場合は言わば程度問題であり、峻別するのが妥当とは言えなさそうです。
ということで、恐怖という心理状態について、もう少し詳しく知りたいですね。
オススメの文献などあればぜひ教えてください。
追記の追記
一般用語としての恐怖の定義とは別に、クトゥルフ神話TRPGにおけるSAN値が、いかなる精神的刺激によって変動するかは、やはり考えるべきことのような気がします。
通常PLをしているだけだとKPに「正気度ロールをしてください」といわれるがままにサイコロを振り、なるほど探索者はいま正気度が損なわれる可能性がある場面に遭遇しているんだなと思えば遊ぶのに支障はありません。
が、真に探索者の心理あるいは精神の状態を想像しようと思ったのであれば、いかなるときにSAN値に変動がありうるものであるかは、知っておいたほうが良いのでしょう。
そしてそれは、作者(ラヴクラフトであり、シナリオ作者である)の思い描いた宇宙的恐怖(あるいは、そこに表象される何か)へと近づくための、大切な道なのかもしれません。
いずれにしてもクトゥルフ神話TRPGのSANについてまだまだ知り、考えるべきことは多いようです。
結論
雑談に結論というのも変な話ですが、要するに僕が他人の感情を想像するのが下手だということ、とくに恐怖については、怖い体験をしてこなかったおかげでより一層下手だということを書きたかったのです。
あと僕が高所恐怖症であり、かつ閉所恐怖症なことも。