どうも、黒ボールペンはSARASAdryを使っています、四扇イドラです。
前回に引き続いて、人狼ゲームにおいてシステム上用意された選択を眺めつつ思考の整理をしていこうと思います。
迷走したときの道しるべとしつつ、上達の踏み台としていただけたら幸いです。
あくまでも整理であって高度な技術をお伝えするわけではないこと、思考の要素として絶対のものではなく、また不可欠の要件でもないことをご理解いただいたうえで、内容に入っていくことにしましょう。
誰を咬むかという選択
今回眺めていくのは人狼だけに許された特権「誰を咬むか」という選択です。
人狼にとっては、相方の人狼はすでにわかっており(狂人がCOなどでわかっているならば)それ以外の全員が市民陣営になります。
そうすると、誰を咬んでも形式的には勝利条件に近づいていることになりますが、そう簡単な話ではありません。
咬み対象によっては騎士に護衛されて吊り縄が増えてしまうかもしれませんし、素直に咬みが通ったとしても、市民の残り方によっては”詰む”ことになりかねません。
咬み選択が人狼に致命的な影響を与えること、そして人狼が自由に(一方的に)選択できるからこそ思考をめぐらせるべきことをお伝えしたうえで、具体的な考慮要素に進みたいと思います。
1.役職者を咬みたい
人狼にとって最も素直で、最初に行きあたるであろう選択が役職者を咬むというものでしょう。とくに1COの場合は、連続咬みをしてでも咬み抜こうとする場合もあります。
しかし、その選択をよくよく眺めてみると、そこには複数の動機が相関係しながら存在することに気が付きます。
すなわち、役職者の役職行使を排したいという思考、黒を塗れる対象が減り容疑者が狭められてしまう(縄余裕ができてしまう)という思考、あるいは役職者の視点によって議論が詰まるのを避けたいという思考。
いずれにせよ、市民陣営のなかでも、もっている情報が多く能力行使もできる役職者を最初に咬みに行くのは極めて順当な思考でしょう。
例外があるならば、人外も対抗でCOしていて信用勝負で勝てそうな場合。この場合は吊り縄を真役職に使えることになりますから、役職者以外を咬むインセンティブが働くことになります。
2.思考が伸びそうな人を咬みたい
いわゆる脅威咬みというものになります。
人狼ゲームのスキルに差のあるメンツでは、同じ人ばかりが咬まれることになるため個人的には推奨したくない選択です。が、思考が伸びて人狼を見破ってくる市民の存在は、人狼にとって確かに厄介ですから、その心情はとてもよくわかります。
3.白位置を噛みたい
(総ての占い師から白出しされているなどの)確白はもちろんですが、市民から白置きされている市民は咬んでおきたいと考えるはずです。
それはある種の当然で、最終日を確白2人と自分の3人で迎えたら”詰む”わけですし、片方が白置きされているグレーでも最終日の議論だけで覆すのは困難でしょう。
この選択をする場合の注意点としては、市民視点で誰が白くなっているのかを見極めることです。人狼目線でからだけ白く見えている市民を咬むのがいかほどのメリットがあるかと言われれば、そう多くないでしょう。
4.自分を白評価している人を噛みたい
自分に白っぽいという評価をしてくれていた村人が咬まれたら市民はどう思うでしょうか。咬まれた(=白い)人が白いと言ったあなたが間接的に白くなりはしないでしょうか。
少なくとも一人の村目線で白だったのであれば、その人が拾った白要素を主張することができます。
5.自分を黒評価している人を噛みたい
4.とまるで反する話ですが、あなたを黒っぽいと評価している人を最終日に残すとどうなるでしょうか。よほど反論が上手くいかないかぎり、その人の票は自分に投じられます。
その人との2択の投票となって3人目が悩んでくれるなら可能性は残りますが、しかし確実に自分を吊ろうとする人の存在はいない方がよいでしょう。
6.と、いうことは村人も知っている。
ここまで読んで「そんな簡単な話じゃない」と思ったあなた。ここまでたどり着いてくれたことに感謝したいと思います。
そう、そんな簡単な話ではないんです。
というのも、市民側のプレイヤーも当然ルールを把握していますし、人狼陣営をプレイしたこともあるでしょう。とすると、ここまで上げた人狼の選択は、市民側にも把握されていると考えるべきでしょう。
例えば、「白くなろうとしてラインがつながっていた人を咬んだ」とか、「真目を取れそうだから占いを残している」とか、市民側はそういう裏読みをしてくることになります。
したがって、自分たちに利益がある選択を素直に採り続けていたのでは、咬み位置から推理されてしまうおそれがある、ということになります。
7.裏の裏の裏の裏の裏?
さて、そうすると人狼と市民は永遠の読み合いが発生することになります。
そして、(初日の吊りがほとんど運ということをあわせれば)咬みが先に来る以上、その読み合いに先に出会うのは人狼なわけです。
が、この読み合いに消耗して、結果的に疲弊した(消極的な)選択をするというのはもったいないと考えます。
咬むという人狼に許された特権を、むしろ足かせのように扱っているわけですから。
じゃあどうするか。発想を転換しましょう。
「咬み筋から市民にどう読まれるか」を考えるのではなく「咬み筋から市民に何を読ませるか」を考えるのです。
自分たちが選んだ情報を垂れ流すのです。人狼に都合よく選択し真水を流すもよし、ミスリードを誘って毒を流すのもよし。
次の議論を見据えて主体的な選択をすることこそ、読み合いを制する鍵となりましょう。
8.Rebuild
ということで、ここまで眺めてきた選択肢を分解し、思考を整理していきましょう。
①市民の得る情報を減らしたい
役職者の能力行使結果が情報の典型になります(それ以外を思いついていませんが)。どんな情報が、どの程度脅威になるかが、この思考のウェイトを決めるでしょう。
②余計な情報を与えたい
咬みは市民と人狼の読み合いを生み出します。誰を噛んだかという情報が市民の思考を鈍らせることも、選択の考慮に入れたいものです。あるいは①の思考と表裏一体といえるかもしれませんね。
③容疑者を減らしたくない
最終盤面にいたるために、そして最終盤面での市民の投票を難しくするために、自分以外の容疑者はなるべき多く残しておきたいものです。現時点の自分の白さと、他人の白さの比較が重要になりそうです。
④白くなりたい
これは③と表裏一体の思考です。自分が白くなることで、最終盤面にいたりやすくなり、そして最終盤面での市民の投票が難しくなるわけですから。
こうしてみると、市民の思考を阻害したいという一つの動機に収斂されてしまうような気がします。
が、よく考えれば当たり前の話で、咬みが通ってしまえば人狼以外(そして多くの場合市民陣営)を減らすことができます。
そうすると着々と勝利に近づくわけですから、人狼の考えることといえば敗北を退けることとなりましょう。そして、敗北条件が吊られてしまうことにあるので、市民の思考が進まないように努めるのが筋、ということになります。
となると、こんな整理に意味はなくて、議論状況をつぶさに観察しながら、その状況で誰を咬むのが最も市民の思考を阻害できるか検討する、というのが咬み選択において求められる思考のような気もしてきます。
まあ、その結論にいたるまでの道しるべとしての意義があったということで。
この記事に足りないもの
さて、ここまでの議論で(不適切に)足りない思考があります。
人狼ゲームをプレイしたことがある人はとうの昔に気が付いて、もはや読むことを辞めてしまったかもしれません。
ここで、その不足を認めつつ釈明することにいたしましょう。
すなわち、狩人の存在です。
もっともらしく「咬みが通れば村人を削れる」などと述べていますが、この「咬みが通るか」こそ人狼が最もよく検討するものでしょう。
咬みが通らなければ、総ての動機が無に帰すのですから。
正直に申しましょう。
第3回において狩人の護衛について検討するつもりでいるのです。
分量の関係上、襲撃と護衛の関係についてはそちらで触れるということでお許しください。
余計な一言
さて、咬むという選択について眺めつつ思考を整理した結果、あっけない結論に至ったわけですが、ここで余計な一言を付けたそうと思います。
「咬みにいたる人狼の思考を、市民は当然知らない」ということです。
言い換えましょう。
人狼は上記思考をした結果として咬みの選択をします。
これに対して市民は、咬みの選択をみたあとで、その思考過程を推測します。
その推測はあたっていることもあれば間違っていることもあります。見当はずれな推測によって、結果的に人狼が捕捉される可能性もあります。が、人狼がこれを指摘することは自らが人狼であると自白しているようなものでしょう。
あるいは市民は、正解かどうかわからない咬み考察など放棄してしまって昨日の投票の話を始めるかもしれません。にもかかわらず、咬み筋を負わせようとすれば、人狼であると気づかれてしまうかもしれません。
この、咬みに対する市民と人狼の情報の差というか、温度感の差については注意したいものです。
附記
自咬み、咬みなしについての記述が欠けています。いずれどこかで書こうと思いますのでご容赦ください。