ほぼ初心者ディプロマシー 1903年

どうも、四扇イドラです。

 

引き続いてほぼ初心者ディプロマシーを観ていきましょう。今回は1903年です。

画像はてりや菌さんの公開されているブラウザツール

teriyakin.starfree.jp

の盤面をスクショしたものとなっております。

なお、3つ前の記事に諸々の説明等がありますので、適宜ご参照ください。

1903年開始時点

混沌としている(あまり見慣れない盤面の)西欧と、勢力関係がわかりやすい東欧。あるいは東西のラインを超える兆しもありつつ……。そんななか1903年がはじまります。

1903年春の行軍命令

英 ロンドン→北海

  アイリッシュ海ーイギリス海峡を維持支援

  イギリス海峡-ベルギーを維持支援

 

仏 ピカルディ:独オランダ→ベルギーを移動支援

  ガスゴーニュ→マルセイユ

  パリ-ブレストの維持支援

 

独 キール→ヘルゴランド湾

  オランダ→ベルギー

  ベルリン→キール

  ボヘミア→チロル

 

伊 チュニス→シリア(イオニア海、東地中海の海軍で輸送)

  ヴェニス→チロル

 

墺 ウィーン-トリエステ-ブダペスト 三角維持支援

  セルビア=ブルガリア 相互維持支援

 

露 ボスニア湾→サンクトペテルブルグ

  ウクライナ-ルーマニアを維持支援

  セバストポリ-ルーマニアを維持支援

 

土 コンスタンティノープル→ブルガリア(黒海で移動支援)

1903年春 行軍命令実行後


仏独が行軍を詰め切れずイギリスはベルギー維持と北海進出を同時に達成。

ドイツもヘルゴラント湾に進出し、英独は予断を許さない状態に。

フランスのブレスト海軍がイギリス海峡の支援カットに行かなかったのはドイツ拡大を防ぐためか。

表面的には仏独協力にみえるものの依然として真意は読み切れない状況。

 

ロシアは墺包囲にも土攻めにも参加せず防衛の姿勢。

オーハンも同様に防衛の姿勢。ヘイト管理も視野に入れていると思われる。

結果イタリアのシリア入りだけが実現し、トルコはいっそう厳しい状況に。ロシアかオーハンの協力なしには滅亡を避けられないだろう。

1903年秋の行軍命令

英 アイリッシュ湾→中大西洋(イギリス海峡で移動支援)

  ノルウェー→スウェーデン

  北海=ベルギー 相互維持支援

 

仏 パリ→ブルゴーニュ

  ブレスト→イギリス海峡

 

独 バルト海-スウェーデンを維持支援

  ヘルゴランド湾→北海(オランダで移動支援)

  キール-オランダを維持支援

 

伊 シリア→スミルナ(東地中海で移動支援)

  ギリシャ-墺ブルガリアを維持支援

 

墺 ウィーン=トリエステ 相互維持支援

  ブダペスト→ルーマニア(セルビアで移動支援)

  ブルガリア→コンスタンティノープル

 

露 ワルシャワ→シレジア

  ウクライナ→ワルシャワ

  ルーマニア→ガリシア

 

土 スミルナ→コンスタンティノープル

  コンスタンティノープル→アンカラ

1903年秋 行軍命令実行後

(※シリアから来た伊陸軍に取り除かれたスミルナの土海軍がコンスタンティノープルでSOを引き起こせるのか、引き起こせた場合に撤退先はどうなるか不明だったので、GM(オーハン)に不利な裁定としました。ルールをご存知の方はコメントいただけると助かります。)

 

西欧は、いずれの国も単独では隣国の防衛ラインを突破できず、膠着状態。フランスのパリ陸軍がブルゴーニュに移動しただけの結果に。

西側からフランス2軍、東側からはロシア軍が迫っており、ドイツが不利な状態に。海軍だけでは対応できないことから、仏露墺のいずれかは味方につけたいところ。

 

東欧はトルコ本土にイタリアが侵入。存亡は伊墺の意思に委ねられた形に。

ロシアは西進の裏を突かれてルーマニアを喪失。ドイツ領土に活路を見出したのが吉と出るか凶と出るか。

逆にオーハンは労せず拠点を獲得。順調な拡大でヘイトを集めそうも、トルコ領土を獲得したイタリアとは友好を継続できるかもしれない。ギリシャの伊陸軍は警戒したいところだが。

1903年終了時点

西欧はユニットの増減なし

オーハンは選択肢がないため自動的にブダペスト陸軍を増設。

イタリアのローマ海軍増設は反転してフランス侵攻する布石か。少なくとも対墺という意識はあまりないように思われる。

 

トルコが2軍しかなく滅亡が近いのはわかりやすいが、実はロシアも危ない状況。北欧を英独におさえられ、動かせる陸軍数でもオーハンに劣る。ドイツ侵攻を意識した結果ユニットどうしがやや離れ、防衛を固めるのも難しい様子。ルーマニア陥落は存外痛手だった可能性も。伊墺あるいは独墺の関係次第では滅亡の未来も。

 

同様にフランスも劣勢。伊墺の友好関係が続けばイタリアの西進は必至。他方フランスは海軍2ユニットしかおらず、陸軍を回してくるには時間がかかる。英独との講和を結んで対伊に集中したいが、イギリス海峡を取られた状態では拠点を差し出しているようなもの。伊墺の離間を図るくらいしか有効な手立ては見つからない。

 

……それにしてもきれいなレパントだな。

 

1904年へ

1903年が終了。

フィンランドから北アフリカに走る中央空白帯を越えようとするユニットがちらほらと現れ始め、東西の交流も増えてきそうな様子。

それは同時に、東西でそれぞれ劣勢な国が出始めたということでもあり、盤面が劇的に動く予感もしつつ。

 

そんなところで1904年へ。